今も残る衝撃の新潟芝2000mの基準タイム~ツジノワンダー
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プロフィール
ツジノワンダー
1996年6月19日 牡馬
母 ツジノチドリ
母父 マルゼンスキー
42戦6勝
主な勝鞍 NiLS21S(1600万下)、アイルランドT(1600万下)
競走生活
・JRA
3歳:4戦1勝 新馬
4歳:10戦3勝 松島特別(900万下)、稲村ヶ崎特別(900万下)、500万下
5歳:8戦1勝 NiLS21S(1600万下)
6歳:8戦1勝 アイルランドT(1600万下)
7歳:5戦0勝
・栃木(宇都宮)
8歳:7戦0勝
※年齢は当時は旧年齢ですが、現在の表記に合わせています。
3歳2月のダート1400の新馬戦でデビューすると1番人気に応え、4馬身差で圧勝のデビューを飾ります。その後、7戦ダート戦のみを使われ、地方の交流レースにも出走しますが、すべて4着以下に敗れてしまいます。
9戦目に初めて芝のレースを使われると中団から伸びて快勝します。返す刀で稲村ケ崎特別(900万下)も3馬身半差で連勝となります。続くジューンS(1600万下)も3着と好走します。直後に降級となりますが、2戦目で松島特別(900万下)を勝利し、再び準オープンに昇級します。続けて新潟記念(G3)に挑戦すると準オープンの身ながら2番人気に推され、0秒6差の5着と好走します。
この後、6か月半休養となり、2戦した後、再び3か月休養にはいります。
そして迎えたNiLS21S(1600万下)。この日から新潟競馬場がリニューアルオープンし、右回りから左回りに変更となり、直線1000mの芝コースも新設されました。天候も良く、下級条件でもかなり早いタイムが出ていました。ロードブレーブが前半1000mを57秒6で逃げ、これを2番手集団でマークし、直線並びかけます。ロードブレーブも差し返すように粘り、新装新潟の長い直線を叩き合い、最後は凌いで先着し、表示されたタイムが1分56秒4という日本レコードでした。
続く天の川S(1600万下)も3着と好走し、新潟記念、カブトヤマ記念と新潟競馬場の重賞でも期待されますが、2桁着順に敗れてしまいました。その後、暮れの市川S(1600万下)で2着に入りますが、他の4戦は5着以下となってしまいました。
しかし、NiLS21Sからちょうど一年後の夏の新潟では、人気薄ながらマグナーテンがレコードで快勝する中、3着と好走し、新潟競馬場との相性の良さを見せます。関屋記念(G3)は11着でしたが、朱鷺S(1600万下)は5着に入り、秋の中山でおこなわれたアイルランドT(1600万下)で久しぶりの勝利を挙げました。
オープンに昇級したものの6戦続けて2桁着順となり、北関東に移籍しましたが、勝利を挙げることができずに引退しています。
血統構成
父メジロマックイーンは天皇賞・春2回、菊花賞を制した名ステイヤーです。特に天皇賞・春は父子3代での天皇賞制覇となっています。種牡馬入り後はホクトスルタン、ディアジーナなどの重賞勝ち馬を輩出しています。また、母の父としても3冠馬オルフェーヴル、6冠馬ゴールドシップ、グランプリ2勝のドリームジャーニーなどを輩出しています。
母ツジノチドリはJRAで3勝を挙げています。繁殖入り後は2歳時に重賞でも好走したサワノフラッシュ、セントライト記念で1番人気に推されたテイオージャなどを輩出しています。
母の父マルゼンスキーはニジンスキーの持ち込み馬として、朝日杯3歳Sを大差で制しています。しかも8戦8勝と無敗のまま競走馬を過ごしました。種牡馬入り後はダービーのサクラチヨノオー、菊花賞のホリスキー、レオダーバンなどを輩出し、母の父としてもライスシャワー、ウイニングチケット、スペシャルウィークなどのG1馬を輩出しています。
私の注目ポイント
なぜ私がツジノワンダーを取り上げたかをご紹介します。
1.衝撃の芝2000mの基準タイム
1分56秒4。このタイムを見たときには正直目を疑いました。57秒台すらかなり破格のタイムであった当時において、新装の開幕週とはいえ、準オープンのレースでここまでのタイムが出るとは想像できませんでした。
スタートから大逃げをすることで有名だったロードブレーブが前半1000mを57秒6で逃げ、それをぴったりとマークする形の2番手で本馬はレースを進め、直線競り勝って達成したものでした。
最下位8着の馬ですら1分58秒0でしたので、とんでもないスピード馬場ができたものだと思ったものです。
その後、2011年の天皇賞・秋でトーセンジョーダンが破るまで日本レコードとして君臨していました。新潟競馬場では2020年現在いまだに基準タイムとして残っており、改修がない限りは破られることはないのではないでしょうか。
2.父、母父から受け継いだ持続するスピード
父メジロマックイーンはステイヤーでしたが、 レコードを3回記録し、特に引退レースとなった京都大賞典は2分22秒7という破格のタイムでの勝利でした。古馬以降に騎乗した武豊騎手がマイルG1でも勝負になったはずと発言しているようにスタミナだけではなく、スピードも兼ね備えた馬でした。
母父マルゼンスキーはスーパーカーと称された馬で朝日杯3歳Sで1分34秒4という2歳レコードで制しています。脚元の不安もあり、全力で追えないこともありましたが、ほぼすべてのレースで主導権を握り、8戦でつけた着差は合計61馬身とスピードの違いを見せつけています。
両馬から受け継いだ持続するスピードが開幕週の馬場ともマッチして、1分56秒台という驚愕のレコードが出たのではないかと個人的には思っています。
他にも新潟芝1400mのNSTOPで今も残るレコード決着の中で3着、中山のアイルランドTで好タイムで勝利とキレよりも長く良い脚を求められるレースで好走しています。
3.日本の競馬を支えてきた母系の種牡馬
母系を辿っていくとマルゼンスキー、セントクレスピン、ヒンドスタン、ハクリユウ、ペリオンと各世代の有力種牡馬が重ねられています。
ペリオンはリーディングサイアーにも輝き、産駒が帝室御賞典(後の天皇賞)を6勝挙げています。
ハクリュウは競走馬として帝室御賞典、 各内国産古馬連合(後の天皇賞)を勝利しています。種牡馬としても帝室御賞典、京都農林省賞典四歳呼馬を買ったマルタケなどを輩出しています。
ヒンドスタンはリーディングサイアーに7度輝き、3冠馬シンザンやダービーのハクシヨウ、天皇賞のヤマニンモアー、リユウフオーレル、ヒカルポーラ、ヤマトキヨウダイなど大成功を収めています。
セントクレスピンは競走馬として凱旋門賞を制し、種牡馬としても英2冠牝馬Altesse Royaleや天皇賞のエリモジョージ、タイテエムなどを輩出しています。
このように各世代の有力種牡馬を種付けし、6代も日本で代を重ねているというのはかなり少ないように思います。それだけこの血統に愛着を持ち、常に強く速い馬を産み出そうとする生産者の思いが見える気がいたします。