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あまり取り上げられることのない思い出の競走馬をきままに語ります。

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最強の重賞未勝利馬の一頭~ロイスアンドロイス

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プロフィール

ロイスアンドロイス

1990年3月10日 牡馬

父  トニービン

母  ザッツマイパル

母父 Key to the Mint

厩舎 松山康久(美)

28戦3勝

主な勝鞍 サロベツS(1500万下)、むらさき賞(1500万下)、天皇賞秋(G1)3着、ジャパンカップ(G1)3着

 

競走生活

JRA

2歳:2戦0勝

3歳:12戦1勝 未勝利、セントライト記念(G2)2着、ラジオたんぱ賞(G3)3着

4歳:7戦2勝 サロベツS(1500万下)、むらさき賞(1500万下)、天皇賞秋(G1)3着、ジャパンカップ(G1)3着、オールカマー(G3)3着

5歳:4戦0勝

6歳:3戦0勝

 ※年齢は当時は旧年齢ですが、現在の表記に合わせています。

 

2歳12月にデビューし、5番人気ながら大物と言われたクエストフォベストの2着と健闘します。折り返しの新馬戦も向こう正面から上がっていくものの2着に惜敗します。

年が明けて生涯唯一となるダート戦に挑み、圧倒的1番人気に推されますが、勝った後に中山大障害を制する名ジャンパー・ノーザンレインボーから10馬身離された3着に敗れます。その後、芝に戻って3戦しますが、すべてのレースで勝ち馬とほぼ同じ位置にいながら0.2秒差以内の2着に敗れます。

そのような中、陣営は東京優駿(G1)のトライアル青葉賞(OP)に挑戦します。当時は、2着までに東京優駿(G1)の優先出走権が与えられましたが、収得賞金ゼロでは出走できないため、OPレースである青葉賞は勝つ必要がありました。レースは中団から良い脚で追い込んできて、あわやの場面を作るもののステージチャンプから0.4秒差の3着に敗れます。ここまで2着5回、3着2回、着外なしの本馬を最強の未勝利馬と呼ぶ声もありました。

次の未勝利戦では初めて後藤騎手を鞍上に迎え、積極的な競馬から5馬身差で圧倒し、初勝利を挙げます。次走にはラジオたんぱ賞(G3)を選び、4角2番手も最後は離され3着となります。新潟開催も走りますが、500万下特別を連続して2着と勝ちきれません。

陣営は再度菊花賞(G1)のトライアルであるセントライト記念(G2)に挑戦します。7番人気に甘んじます。人気に反発するように中団から良く伸びましたが、勝ったラガーチャンピオンを捉えることはできず2着になります。ただ、菊花賞の出走権を手にするとともに収得賞金も加算し、最強の1勝馬と呼ぶ声も出てきます。

菊花賞(G1)は1勝馬にも関わらず、ビワハヤヒデウイニングチケットナリタタイシンの3強に次ぐ4番人気(複勝は3番人気)に推されますが、初の着外となる7着に敗れます。つづく冬至S(1500万下)はこの年12戦目となり、疲れがあったのか5着となります。

翌年は5月の東京開催まで休み、薫風S(1500万下)で復帰すると2着に好走し、続くむらさき賞(1500万下)を快勝しオープン馬になります。エプソムC(G3)は2番人気に推されるも0.4秒差ながら女傑ワコーチカコの7着に敗れると降級して再び準オープン馬となります。しかし、続くサロベツS(1500万下)を接戦の末、勝利してすぐにオープン馬に復帰します。

続いてオールカマー(G3)に参戦すると、前年の菊花賞を勝ち、この年G1を2勝して最強古馬になったビワハヤヒデ、前年のダービー馬ウイニングチケットの同期2頭には敗れるものの3着を確保します。天皇賞秋(G1)は他の有力馬も多かったことから11番人気に人気を落としますが、ビワハヤヒデウイニングチケットが故障し、後方となる中、セキテイリュウオーとともに伸びてきて、ネーハイシーザーの3着と健闘します。

次走にはジャパンカップ(G1)を選びます。外国馬が上位人気を占め、本馬も8番人気となります。しかし、レースでは残り200mで一瞬突き抜け、勝ったかと思わせましたが、内からマーベラスクラウンパラダイスクリークに差し返され、日本馬では最上位人気だったマーベラスクラウンの3着に敗れます。この時点では最強の重賞未勝利馬、最強の3着馬などという呼ばれ方もしていました。

休みなく7戦し、G1でも健闘したことから疲れも出て休養に入り、4月の大阪杯(G2)に出走しますが、ここでも僅差の4着に敗れます。再び休養に入り、富士S(OP)で復帰するとこの次走でハクチカラ以来36年ぶりの平地海外重賞制覇となる香港国際C(G2)を制するフジヤマケンザン、すでに宝塚記念(G2)2着の実績があり、のちに安田記念(G1)を制するタイキブリザードの3着に入り、健在なところを見せます。つづくジャパンカップ(G1)は後方から良い脚で追い込むも勝ったランドから0.8秒差の7着、有馬記念(G1)も勝ったマヤノトップガンの7着に敗れます。

翌年の6歳(旧7歳)はAJCCから始動し、勝ったカネツクロスを捉えられず4着。日経賞(G2)8着、天皇賞春(G1)11着に敗れます。立て直しを図るべく放牧に出たものの、放牧先で腸捻転を発症し、残念ながら亡くなってしまいます。

 

血統構成

トニービンはイタリア調教場として27年ぶりに凱旋門賞を制覇し、ミラノ大賞典やジョッキークラブ大賞を制しています。日本で種牡馬入り後はリーディングサイアーにも輝き、ダービー、ジャパンカップを勝ったジャングルポケット天皇賞秋、オークスを勝ったエアグルーブ、ダービーのウイニングチケット、2冠馬ベガなど多数の活躍馬を輩出し、父系、母系としても日本競馬に大きな影響を与えています。

 

ザッツマイパルアメリカで走り1勝を挙げています。当初はアメリカで繁殖生活を送っていましたが、日本に来て本馬の他にオールカマー(G2)で3着し、福島民報杯(OP)を勝ったザッツマイドリームなどを輩出しています。

 

母の父Key to the Mintはアメリカで走りトラヴァーズSなど勝利し、エクリプス賞最優秀3歳牡馬に選出されています。種牡馬入り後はBCディスタフのJewel Princess、トラヴァーズSJava Goldなどを輩出し、母父としてもキングジョージ連覇のSwain、BCディスタフのInside Informationなどを輩出しています。日本では名繁殖牝馬ダンシングキイや変則2冠馬ディープスカイなどの母系でみることができます。

 

私の注目ポイント

なぜ私がロイスアンドロイスを取り上げたかをご紹介します。

1.最強の・・・

通算成績は28戦3勝2着9回3着7回であり、5歳(旧6歳)ジャパンカップ以降の晩年のレースを除けば、ほとんどのレースで3着に入っています。敗れた4戦も適正距離外だったと思われる菊花賞(G1)、その年12戦目の冬至S(OP)と理由があったり、中1週で0.4秒差で大接戦ながら8着のエプソムC(G3)、休み明けながら0.2秒差4着と健闘した大阪杯(G2)と着順ほどは敗れていないレースになります。

上がり3ハロンもほとんど3番手以内と勝ちきれなかったものの常に堅実なレースを見せてくれました。

そのため、

・未勝利ながら3着となった青葉賞(OP)後は最強の未勝利馬、

・初勝利後にセントライト記念(G2)2着で菊花賞(G1)に出走する頃は最強の1勝馬

・4歳(旧5歳)秋に強豪馬を向こうに回してのオールカマー(G3)、天皇賞秋(G1)、ジャパンカップ(G1)の3連続3着により最強の重賞未勝利馬、最強の3勝馬、最強の3着馬

などと呼ばれています。

ナイスネイチャの次の世代のブロコレ(ブロンズコレクター)の1頭として、語り継がれていくのではないかと思っています。

 

2.能力が高く、頭の賢い馬

後藤騎手はロイスアンドロイスと相性が良く、4回騎乗して2勝2着1回と好成績をおさめています。

その後藤騎手によると調教では、日々のメニューをすべて把握しており、鞍上の言うことを聞かないにもかかわらず、調教師から指示されたとおりの追い切りを消化したとのこと。「レースでも、その頭の良さが邪魔をしていた。彼は負けたくて負けていたのだ。きっと彼は2、3着というのを数えられたのだと思う」とコメントしています。

一方で背中に感動したとも言っており、能力の高さが伝わってくる発言です。

特にキャリアの前半の未勝利、条件馬時代は勝ち馬と同じような位置にいながら先着を許しており、先を譲ったのかと思ってしまうような結果になっています。

使える脚が短いという面はあったのかもしれませんが、能力をすべて解放していたらBWNの3強に割って入る力があったのかもしれないと想像してしまいます。

 

3.あわやのジャパンカップ

1994年のジャパンカップでは、日本馬はビワハヤヒデウイニングチケットは直前の天皇賞で故障して引退、天皇賞ネーハイシーザー三冠馬ナリタブライアンは出走を見合わせとなり、当時の日本馬の枠は5頭でしたが、G1馬はゼロでした。

本馬以外の他の4頭はこのレース前まで

ナイスネイチャ:重賞4勝もG1では有馬記念3年連続3着を含む3着4回4着4回、他の重賞でも2着3回、3着3回

フジヤマケンザン菊花賞(G1)3着の実績があるが、他は父内国産限定の中日新聞杯(G3)1着とオープン3勝、重賞2着4回

マチカネタンホイザ:重賞3勝もG1では3着1回4着5回(このレースは鼻出血で除外)

マーベラスクラウン:前走阪神で行われた京都大賞典(G2)でレコード勝ちして重賞2勝目とはいえ、重賞で2着4回3着1回

と実績はそれなりにあるものの勝ちきれないメンバと評されておりました。

なお、日経賞を勝ち、菊花賞2着のステージチャンプが補欠に回り、本馬は重賞未勝利にもかかわらず力量上位と判断されての出走でした。

そのため、海外馬が上位人気を独占し、日本馬最上位人気は勢いのあったマーベラスクラウンの6番人気で、本馬も8番人気にとどまります。レースでは残り200mで一瞬突き抜け、遂に勝ったかと思わせましたが、内からマーベラスクラウンパラダイスクリークに差し返されてしまいます。ただ、いつになく強気の競馬で強いレース内容だったように思います。

ちなみに勝ったマーベラスクラウン騎乗の南井騎手はこの年G1を4勝目となり、年末の有馬記念(G1)をナリタブライアンで制し、年間G1を5勝の当時の新記録を樹立しています(現在はルメール騎手の8勝)。

 

 


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